桂林寺(けいりんじ) 都留市金井

桂林寺本堂  臨済宗妙心寺派。山号は富春山(ふしゅんざん)。本尊薬師如来。開山は格智(かくち)で、永享5年(1433)没。
 開基は小山田弥二郎富春で、法名は桂林寺桂堂香公居士(甲斐国志・寺記)。
 富春の没年について、「寺記」は天文12年(1551)としているが、「甲斐国志」には「卒年不詳」、「甲斐国志草稿」には格智と「同時ノ人ナラン」とあることから、その没年には疑問の余地が残る。
 その後、小山田信茂(天正10年没)が本堂を再建して中興開基となる(甲斐国志・寺記)。
 小山田氏全盛の頃は金井村全域から羽根子村獅子岩まで当寺領であったと伝える(寺記)。古くは鎌倉建長寺末で末寺も数多くあったが、のちに京都妙心寺末となり、末寺は12ヶ寺に減少した(甲斐国志)。
 外護者であった小山田氏滅亡以後も歴代の郡内領主の保護を受け、加藤作内(光吉)は天正19年(1591)4月9日に寺中・山林等を安堵し、同年11月14日には中津森のうち5石を寺領として宛行っている(ともに「加藤光吉印判状写」甲斐国志)。
 慶長6年(1601)8月28日には鳥居成次より寺領4石余と山林の寄進を受ける(「鳥居成次判物写」同書)。この時期の当住大光覚雲(慶安2年没)はのちに中興開山と称される(寺記)。
 その後、谷村藩主秋元富朝の寄進により諸堂を造営、その跡を継いだ喬知からは寛文9年(1669)検地の際に山林・雑木伐採の禁制と堂宇修理料として萱と金子を寄進されるが、宝永元年(1704)頃火災に遭う。(甲斐国志・寺記)。
 江戸期には境内5畝6歩・田畑7反1畝20歩、山林縦500間・横150間を所持し、いずれも黒印除地であった(甲斐国志)。境内に小山田氏歴代の墓所がある。
【詳しく知りたい人】
都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会
目で見る都留市の歴史 1988 都留市教育委員会
都留市歴史散歩 1991 都留市教育委員会
都留市寺記 1976 都留市教育委員会
甲斐国志 第3巻 仏寺部 雄山閣