鳥 居 元 忠(とりいもとただ)

鳥居元忠画像(徳川二十四将図より)天文8年(1539)
 三河国(愛知県)渡河内に生まれ、13歳まで駿河にて今川家の人質であった徳川家康に近従する。
天正10年(1582)8月
 武田氏滅亡、そして、本能寺にて信長が討たれた後、甲斐国を巡り徳川と北条氏による勢力争いが勃発。元忠は、家康に従い甲斐国古府(甲府)に陣をはる。同年8月12日、北条氏忠、氏光、氏勝、一万騎を率い郡内に入り、御坂峠を越えて東郡に侵攻。元忠二千騎を発して、黒駒にて合戦となり、北条軍を打ち破る。(黒駒合戦)
同年10月29日
 徳川・北条氏和議を結び、甲斐国は徳川の領地となり、元忠は家康より「是汝が武勇をもって取得たる地なり、永くこれを領すべし」との恩命をうける。
天正18年(1590)
 家康関東に入部に伴い下総国(千葉県)矢作の城主となる。4万石を領す。
最後まで戦う鳥居元忠と炎上する伏見城慶長5年(1600)8月朔日
 関ヶ原の戦いに先立ち、西軍の攻撃を受けた伏見城の守備隊長として戦死。
 嘉岳宗慶龍見院と号し、京都龍見院に墓所がある。
 市内長生寺には、元忠所持と伝えられる軍配が伝えられている。
【詳しく知りたい人】
都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会
都留市史 資料編 古代・中世・近世1 1992 都留市史編纂委員会
長安寺 開基 鳥居元忠』 2001 内藤恭義