古 郡(ふるごうり)
古代都留郡古郡を継承する中世の郷で、その郷域は上野原町付近とされる。
牛倉明神の棟札に「古郡上野原村」とある。また、中世には古郡氏の居館が置かれていた。郷名は、都留郡の郡家がもと置かれていたことによる。
古郡氏は、武蔵七党の一つ横山党の一族とされる。小野横山系図によれば、横山党の祖となった義孝の孫にに当たる忠重が、甲斐国古郡(上野原町)を本拠にしたことから古郡氏を名のるようになったとされる。
古郡氏が本拠地にしたのは、上野原町の桂川北岸段丘の先端であったと推定される。
この付近一帯には、「古郡奉証明神」という古称を持ち近世上野原宿の鎮守となった牛倉神社や、内城・外城・城などの地名を残す古郡氏の居館の伝承地も現存する。
古郡氏は、上野原を本拠地に大月市域までその勢力を伸ばしていた。
和田義盛の乱で古郡氏が滅亡した後、古郡は加藤兵衛尉にあたえられた。
- 【詳しく知りたい人】
- 都留市史 通史編 1998 都留市史編纂委員会