浅野左衛門氏重(あさのさえもんうじしげ)
文禄2年(1593)、関東の徳川家康に対する備えとして、浅野長政・幸長父子が甲府城主となり、郡内には家老の浅野氏重が任命された。
氏重は、同年末から谷村に居城し、同3年には谷村館の桂川対岸に勝山城を築城した。
また、同年、郡内領の総検地(太閤検地)を行い、石高1万8,418石2升を決定したほか、北口本宮富士浅間神社の西宮を再建した。
氏重は初名であり、後良重と称した。晩年は、幸長の子長晟に成敗されたとも、浪人したともいわれている。
- 【詳しく知りたい人】
- 都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会
都留市史 資料編 古代・中世・近世1 1992 都留市史編纂委員会