上 州 総 社(じょうしゅうそうじゃ)

秋元山光厳寺群馬県前橋市  慶長6年(1601)初代長朝は上野国総社において1万石を与えられた。長朝移封前は諏訪頼水が城主として総社の蒼海城を拠点としていたが、城が荒廃していたため新たに植野勝山に総社城を築き、城下町の移築を行った。
 総社藩における秋元家の治政として天狗岩用水の開削事業があげられる。総社地域は利根川の右岸、榛名山南東麓の台地上に位置し、利根川水面との比高差がかなりあったため領内の新田開発には困難な状況にあった。そこで、長朝は利根川上流から取水する用水開削を計画し、領内の新田開発と総社城の水濠用水を目的に、3年間の免祖を条件に領民を集めて着工し、慶長7年から同9年まで3年間かけて用水を完成させた。
 その間、難工事に際して取水口付近の巨石を取り除いた天狗来助の伝説を生み「天狗岩用水」と名付けられた。
秋元泰朝墓  用水の完成後領内の新田開発が行われ領内の総検地も実施された。さらに、総社から下流城はその後幕府代官伊奈忠次によって用水が延長され、合わせて利根川右岸流域の潅漑用水として現在も利用されている。
 元和8年(1622)長朝の隠居により嫡子泰朝が2代を継ぎ、寛永10年(1633)泰朝は甲斐国谷村へ転封し、総社藩は廃藩となった。秋元氏の総社支配は32年間であった。
 総社には秋元家の菩提寺として光巌寺と元景寺がある。光巌寺は江月院秋元山を山号とし、初代長朝が建立した寺で長朝の母光巌院の法名をとって光巌寺と名付けた。
総社城復元図(前橋市教育委員会)  寺に隣接する宝塔山古墳の墳上には秋元家歴代の墓がある。また、境内の秋元家霊廟前には秋元家転封から143年後の安永5年(1776)旧総社藩領の農民が長朝の農政の徳を称えて建立した「力田遺愛碑」がある。
 秋元家霊廟内の天井画「八方睨みの龍」は泰朝が造営奉行をつとめた日光東照宮の「鳴龍」の原形ともいわれている。また、元景寺は初代長朝が父景朝(元景)の菩提を弔うために建立した寺で、境内には景朝らの墓石がある。