慶長 5年(1600)
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9月 関ヶ原の戦いに従軍し、首級を上げる。戦いの後、父の敵となる石田三成を預けられたが厚遇する。 |
6年(1601)
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父元忠が武功をもって得た地である甲斐国郡内1万8千石を賜り、谷村城に住す。 |
8年(1603)
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従五位下土佐守に叙任する。 |
17年(1612)
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御室浅間神社本殿を造営。 |
元和元年(1615)
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大阪の役に従軍し、5月7日の戦いの時首28級を上げる。北口本宮富士浅間神社の本殿を造営。 |
2年(1616)
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秀忠の命により、駿河大納言忠長の家老となる。 |
寛永元年(1624)
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1万石の加増があり、3万5千石となる。 |
8年(1631)
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62歳で卒す。神田吉祥寺に埋葬される。(6月18日) |
寛永8年(1631)
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徳川忠長甲府に蟄居となる。 |
9年(1632)
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10月忠長上野国高崎配流となる。成次の子、忠房出羽国山形城主鳥居忠恒に預けられる。 |