谷 村 町(やむらまち)
明治8年1月19日、上谷・下谷の2か村が合併して谷村となり、大手の郡中会所を役場とした。
村の広さは東西約30町・南北約1里15町地租改正後の反別は、田110町余・畑108町余・切替畑54町余・宅地21町余・竹薮1反余・林5町余・芝地10町余など計310町余であった。
明治5年谷村尋常高等小学校を開設,同12年校舎を新築(同前)。明治に入っても当地は、南都留郡役所・南都留郡警察署・谷村区裁判所・谷村病院などの機関や施設が設けられ、南都留郡の政治・経済の中心地として発展した。また、明治初年谷村市場が開設され、郡内地方の織物は同市場において取り引きされた。
上の市場を新町市場、下の市場を立町市場ともいい、毎日2・6の両日に開き,両市場とも毎月交互に市日を変更した。市場経営は,同25年問屋組合の移管となり、のち地元各町の拠出する経費によって運営された。上野原市場(上野原町)同様、明治40年頃廃止された。
その他物産は米・麦・繭・玉繭・生糸・甲斐絹・蝙蝠傘地・桑など,民業は農商を主とし,副業として農業の合間に商業を兼ねるもの105戸,養蚕550戸・工20戸。
明治29年より谷村町制施行。同年南都留郡染織学校が設立され,のち同35年には県立工業学校となるなど変遷を経て、昭和23年谷村南高校となる。また大正5年に開設された谷村実科女学校は,昭和6年県立谷村高等女学校となり,同23年谷村東高校となる。
この谷村南・谷村東の両校が合併して県立谷村高校が同25年に設置された。なお当地は郡内繊の盛んな地域であったが,日露戦争の際の戦時特別税法により織物税が賦課された時、課税基準となる繊物の評価額をめぐって税務署員と絹商人が対立し,明治38年9月26日群衆を交えた約1,000人が谷村税務署を襲撃した。昭和17年三吉村・開地村を合併した。
- 【詳しく知りたい人】
- 都留市史 資料編 近現代 1993 都留市史編纂委員会
都留市史 通史編(其の一・其の二・其の三)1996 都留市史編纂委員会
都留市史 資料編 都留郡 村絵図・村明細帳集(其の一・其の二)1988 都留市史編纂委員会