都留市(つるし)の誕生

 昭和28年法律第285号をもって、町村合併促進法が制定された。都留市の発足も、この国の方針による合併計画に基いたもので、合併関係町村である谷村町、東桂、宝、禾生、盛里村の1町4ケ村合併の成果により、昭和29年4月29日に市制が施行された。
 当時国に於ては、市の機構要件である人口3万は少なすぎるので、これを5万に引上げる法律を改正して、昭和29年4月1日から実施する方針であった。
 谷村町が中心となって市制施行の動きが始まると同時に大月町も隣町村を合併して市制を施行する運動を始めたのが、都留市分市問題となった。
 最終的には大月市も七保町、富浜村との協議が整い大月市制が施行されたが、都留市に合併反対の田野倉、小形山地区の問題は、県知事の「都留市と大月市の境界変更に関する勧告」を都留市が拒否したことから住民投票により決着をつけることになり、昭和31年3月18日に住民投票が行なわれた。結果は分市賛成465票、反対293票で有効投票数の3分の2に及ばず分市問題は解決した。
 市役所は、谷村町役場に置かれ、世帯数5,761、人口31,098、面積161.68平方キロ、塩山市に次いで山梨県下4番目の市として出発した。
【詳しく知りたい人】
都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会
都留市のあゆみ(其の一其の二其の三其の四其の五) 1997 都留市