第二次世界大戦の末期、戦局が日本の不利となり、戦場が本土に近づいたため、政府は「学童疎開実施要綱」を発表し、大都市の初等科3年以上の学童の疎開を8月より実施した。谷村町、東桂村には、東京の暁星、麹町小学校の学童237名が疎開し、町内の旅館や境の天野家に分散して合宿した。
父母のもとから引き離されて不自由な暮らしを強いられた子どもたちの心に、戦争は大きな傷あとを残した。戦後、喜び勇んで帰途についた子供たちだったが、空襲で焼けた町、想像を絶する食糧難など、幼い身にはあまりにも苛酷な運命が待ち受けていた。
両親を亡くして浮浪者になったり、栄養失調で亡くなったりした子どもたちも大勢いた。