桂川の支流朝日川の流域に位置する。明治8年9月15日、与縄・朝日曽雌・朝日馬場の3か村が合併して成立。
村名の由来は旧村の合併に際し、村勢の繁栄を願って命名。役場は朝日馬場に設置。
村の広さは東西約2里・南北約31町、地租改正後の反別は、田14町余・畑131町余・切替畑132町余・宅地11町余・竹薮2反余・林160町余・芝地501町余など計952町余。農業を本業とするが、大部分の農家が養蚕、製糸、絹織物の生産に従事した。
同9年与縄に公立小学校を開設、同15年校舎新築。明治後期・大正期から与縄・朝日馬場・朝日曽雌・盛里の4大字を編成。明治22年の戸数295。同24年の戸数303・人口1,679,学校は旭尋常小学校・誉索尋常小学校があり、物産は麦・馬鈴薯・大根・生糸・熨斗糸・玉繭糸・薪・炭・木材・屋根板・桑・繭など、民業は農業を主として、余業として養蚕201戸・工9人・商業18人(市郡村誌)。
世帯数・人口は、大正9年384・2,251、昭和25年403、2,281。同29年都留市の一部となり、村制時の4大字は同市の大字に継承。