桂クラブ(かつらくらぶ)

第15回都市対抗野球大会に優勝した桂クラブ(昭和16年) 奥源禄の「野球回顧録」によると、谷村に野球が始まったのは、明治27年日清戦争の当時、甲府師範出身の若い小学校の先生によって導入されたもので、当時はベースと呼び、「野球」という言葉を知ったのは、明治38年に上京して早実野球部に籍を置いた時だと記されている。
 大正2年ごろ、谷村から都留中学校へ通学する学生が、「尚志会」という会を結成していて、その会の中に野球部をつくり、旧甲府中学の選手だった中川真樹、和泉田三蔵のコーチにより練習を始めた。大正4年7月、たまたま早大を卒業して帰京した奥源禄に、沼津中学の選手西村三次郎、日川中学の珠久三雄、後に法政大学の教授になった志村要一、堀内芳郎、外川重豪等を加えて結成したのが「桂クラブ」である。
 第1戦は、大正4年8月29日、師範学校校庭において峡中の雄甲府師範と戦い、5対2で快勝し緒戦を飾った。その後、桂クラブは常に郡内の雄として峡中の諸豪と対等に戦い、また、少年野球の育成、谷村工商学校野球部、地元軟式野球の普及、技術の向上のため、常に良き指導者として郡内球界に貢献した。
【詳しく知りたい人】
奥隆行・小林貞夫 『都留野球史回顧録』 1979 都留野球史回顧録編集委員会
都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会
都留市史 資料編 近現代 1993 都留市史編纂委員会
『球心永久に』 1993 都留市野球連盟