江戸期の四日市場村、川茂村、小形山村、井倉村、古川渡村、田野倉村の6ヶ村が明治8年1月19日に合併して禾生村となった。
南都留郡町村取調書によると、村名の由来については「域内良田多ク、禾黍能ク熟スルヲ以村名トス」と記されている。
村の広さは東西32町、南北1里15町,地租改正後の反別は,田152町・畑204町余・切替畑110町余・宅地25町余・竹薮2反余・林19町余・芝地37町余など計549町余。農業を本業とするが,大部分の農家が養蚕,製糸,絹繊物の生産に従事した。
同10年小形山に尾形学校を開設,翌11年藤村式の塔屋付木造2階建ての校舎を竣工した。
明治22年の戸数は510戸。同24年の戸数は510戸、人口は3,040人。学校は尾形尋常小学校・田野倉尋常小学校・昇尋常小学校・禾生高等小学校があり,物産は米・麦・馬鈴薯・大根・繭・真綿・縞木綿・甲斐絹・蠣塙傘地・蚕卵紙・桑葉など、民業は農業を主とし、余業として養蚕450戸・工17人・商35人。
村役場を古川渡に設置。
養蚕・織物業が盛んで明治末年の産額1万7,550疋余,見積価格14万400円。大正2年米の産額1,724石・麦3,439石。世帯数・大正9年の戸数は700戸、人口は3,669人、昭和25年の戸数は798戸、人口は4,458人。
昭和29年合併して都留市の一部となる。