天野不争(あまのふそう)

 都留市境出身、父は有名な事業家となった海蔵翁である。本名天野伴蔵と称して月の本為山、菊守園見外と交流を深め、これら俳人はしばしは不争亭に集まり句会を催したという。
 見外がこの不争亭の客中の作として
夜ごと見る山さまざまや秋の月
鎌留の山荒々し秋の月
 があり、俳人間によく知られた。
 不争は、天野家の菩提寺広徳院の大森香芸に師事し、明治19年47才の若さで没した。
 俳人その他の食客は千人をもって数えられようと伝えられている。
はるるほど不二の低さや消ゆる雪
灰砕く音に眠覚す仮寝哉
我家のものめかしけり青簾
【詳しく知りたい人】
甲斐志料集成』 第7巻 1934 萩原頼平 甲斐志料刊行會
寺子屋と塾』 1975 中野八吾