
米 山 朴 庵(よねやまぼくあん)
本名を登(旧名和蔵)といい、画号を朴庵、停雲閣、渓素軒、六石堂と称した。
元治元年(1864)9月29日、東桂の境に生れた。
8歳のとき米山喜七の養子となり、滝和亭の門に入り、和亭とともに千葉県の野田醤油醸造業の茂木宅に寄寓して絵を描き以後親交を深めた。谷村の小池宅にも出入し作品を残している。朴庵は画界の派閥関係や、師のえこひいきが嫌いで、当時の展覧会へは出品しなかったが、名声を欲しない立派な芸術家であった。
昭和3年、東京若宮町の自宅で64歳の生涯を終り、吉祥寺に埋葬された。
- 【詳しく知りたい人】
- 『都留の今昔』 1978 都留市老人クラブ連合会