北条早雲(ほうじょうそううん)
永享4年(1432)生まれ、後北条氏の祖。伊勢新九郎長氏と称し、入道して早雲庵宗瑞と号した。出自は明らかでなく室町幕府の重臣伊勢氏の流とも、伊勢関氏の一族とも、備中の一族ともいう。駿河守護今川義忠の室であった妹をたよって今川氏に身を寄せ、興国寺城主となったが、廷徳3年(1491)堀越公方足利政知の子茶々丸を殺して伊豆韮山に移った。明応4年(1495)小田原の大森藤頼を追ってここを本拠とし、永正13年(1516)三浦義同を滅ばして相摸を平定,関東征覇の足がかりを築き,永正16年(1519)伊豆韮山で死去。
この間、明応4年(1495)4月、都留郡に攻め入り、鎌山に布陣したが、武田と和睦して帰国。文亀元年(1501)9月18日伊豆より都留郡に打ち入り、吉田に城を構える。永正5年(1508)12月5日国中にて武田方と小山田方が合戦、小山田弥太郎とその同心のもとに逃れた。
- 【詳しく知りたい人】
- 都留市史 通史編 1996 都留市史編纂委員会