奥 源禄(おくげんろく)
明治24年12月13日下谷横町の米、塩、砂糖、食用油等卸「柳屋商店」に生まれる。早稲田大学商学部卒業後、家業を継ぎ、のち谷村郵便局長となる。
大正4年7月、桂クラブを結成し、谷村の野球の振興に努める。野球の局長さんとして親しまれた。また、県下に初めてスキーを導入し、その振興にも努め、谷村スキークラブを結成した。
スキーが、郡内に伝来したのは、大正元年12月、高田連隊の鶴見宜信大尉一行がスキーによる冬山登山訓練のため富士吉田に来麓したとき宿舎の芙蓉閣大外河旅館の外河鯉太郎、谷村の奥源禄の両氏により伝えられた。
翌年高田連隊は、再度スキーによる富士登山を敢行したが、この年は積雪が少なく、一行はスキーをかついで登山し、同行した小学校訓導酒井かおるが墜落して死亡した惨事が発生したため、スキーは危険なものとの誤った認識が地元に広がり、大外河旅館のスキーも物置の隅に片付けられたので、奥が全部譲り受け、仲間に貸与して白木山や競馬場で滑走を楽しんでいた。その後、大江明正、西室貴義、宮井幾三氏らとはかり、大正7年に谷村スキークラブを結成したが、当時県下では谷村以外にスキーをする者が無かったので、「山梨山岳スキークラブ」と改称した。これが、県下最古を誇る都留スキークラブの前身である。
また、早大在学中から写真を始め、大正5年2月同好者と「桂南光画会」を作り、推されて会長となり、同年以来戦争激化により中止となる昭和15年まで谷村小学校展覧会に併せ写真展を開催。写真の普及と技術の向上に努めた。戦後も今泉経広、中村光太郎、三枝栄蔵氏等同好の志と「谷村光映会」として復活し、晩年まで活躍した。
昭和16年 8月9日 勲八等瑞宝章 県政功労賞(スポーツ部門)表彰
昭和47年11月3日 勲五等瑞宝章授与
- 【詳しく知りたい人】
- 奥 隆行 『都留野球回顧録』 1979