尾咲原遺跡(おざきはらいせき)

都留市朝日馬場石棺墓(後期の石棺の上に晩期の石棺が重複している)
【立 地】

 桂川の支流朝日川と大平川に挟まれた南面傾面の洪積台地上に立地する。
【調 査】
 調査は、旭小学校のプール、体育館、新校舎建設に伴い昭和57・58年にわたって実施された。
【遺 構】
 調査によって、東側の体育館建設地からは、配石遺構(西側地区)縄文時代中期〜後期の住居址が19軒発見され、西側のプール建設地からは、縄文時代中期の住居址10軒、同時代後期の住居址2軒、同時代晩期の住居址4軒が発見された。
 また、住居址群の上面からは、環状に巡る配石遺構が認められ、特に、南側からは同時代後期〜晩期の石棺墓が10数基程検出された。
 また、晩期の住居址からは、山梨県を中心とする地域に分布する清水天王山式土器がまとまって出土し、当地域が同土器の分布の中心地をなすものであることが想定されるようになった。
 
第1号住居跡【詳しく知りたい人】
都留市史 地史・考古編 1986 都留市史編纂委員会
山梨県史 資料編1 原始・古代1 考古(遺跡)