一杯窪(いっぱいくぼ)遺跡

都留市菅野 30,000年前の石器製作跡
【立 地】
一杯窪遺跡出土の石器
道志山地の山懐深い標高900mの北西に張り出した尾根の末端部に位置する。
ここは菅野川の源流地であり、傍らの沢には細粒凝灰岩の大小の転石が豊富に認められる。
県道谷村ー道志線の道坂トンネル手前、道路の切り通しにおいて、表土より10m下においてたまたま赤土取りの際発見された。
【調 査】
昭和53年発掘調査が実施され、2,600点におよぶ、石核(せっかく)、剥片(はくへん)を主体に、斧形石器(おのがたせっき)、削器(そうき)類が出土した。石器は、一部のチャートを除くと、細粒凝灰岩(さいりゅうぎょうかいがん)に限定され、この岩体が遺跡背後に露出し、前面の河原に転石として豊富に存在する。これらから、本遺跡が豊富な石材を得て、石器制作を目的としたキャンプサイトであったことを物語っている。石器が出土した土層から取り出した炭化物の放射性炭素(14C)による年代測定をしたところ約32,000年前のものであると報告されている。

遺跡の近景
【詳しく知りたい人】
都留市史 地史・考古編 1986 都留市史編纂委員会
小林広和他 1982 「桂川支流域菅野川一杯窪遺跡で発見された旧石器とその火山灰」『日本第四紀学会講演要旨集』12
山梨県史 資料編1 原始・古代1 考古(遺跡)